「当たり前」を疑う生活。シャンプーって必要なの?
ここ2年ほど、当たり前を疑う生活をしている。
例えば、シャンプーやボディソープ、歯磨き粉などが必要なのかということ。
いつも「当たり前」と思って使っているものが、実は必要ないものなのではないか?という、ふとした疑問から、それらを使わない生活をはじめた。
結果から言うと、使わなくても特に問題ない。
具体的な方法は割愛するが、汚れが気になる時には、ほとんどの場面で重曹を使っている。
今のシャンプーが社会に出現したのはいつごろか?
すこし調べると、だいたい昭和に入った頃にシャンプーと呼ばれるものが発売されたようだ。それまでは、ほとんど毎日洗う習慣はなかったらしい。
動物としての人間には、自浄作用が存在する。
アカやフケが出るのは当たり前のことだ。
他人に不快感を与えないために、それをケアすることは大切なことだろう。
しかし、いかにも「汚いもの」として、人々に意識付け、多大な広告予算をかけて消費者に訴えかけるテレビCMを見ていると、「なんだかな」という気持ちになる。
ほとんど「洗脳」とも言っていいほどの常識が、「当たり前」として定着している。
こんな話をすると、だいたい「え〜!?」という反応が返ってくる。
今日もそんなことがあった。
この話をきいて、「へ〜、興味ある」とか「やってみようかな」という人はほとんどいない。
「当たり前」の領域から出るという選択肢を、「当たり前」という盾で守っているのかもしれない。
その方が楽だし。
考えなくていいし。
けれど、「当たり前」から抜け出し、一歩を踏み出した時に、新たな自分に出会うことができる。
ちょっと話が大げさになってしまった。
けどこれは、野外教育にも言えるコト。