僕が「自然へと誘う旅」を始めた理由。

なぜ「自然へと誘う旅」を始めたのか?を考えてみた。

 

それはまず、単純に「自然が好きだ」ということ。

そして、「社会の課題を解決したい」ということ。

 

「自然が好きだ」

僕の生まれは、北海道の恵庭市というところ。

小学校1年生まで、北の大地で生まれ育った。

おぼろげにある記憶は、幼稚園から小学一年生まで。

冬は大雪の中、通学路を遊びながら歩いて行ったのを覚えている。

大きなツララを刀や鉄砲に見立てながら。

雪のない季節も、近くの川や公園で暗くなるまで遊んでいた。

休みの日には、キャンプに連れて行ってもらったり、車で道東へと旅に連れて行ってもらったことも覚えている。

友達と遊ぶ時には、自転車に乗って走り回っていた。

(小学1年生なのに、よくやっていたなと思う)

小学2年生から広島に引っ越してきた。

それからも、基本的に友達と同じように遊んできた。

中学生になって、バスフィッシングにはまり、

大学生になって、スノーボードに熱中した。

僕の「自然が好きだ」という気持ちは、小さな時から養われてきたのかもしれない。

 

「社会の課題を解決したい」

大学を卒業し、広島にある地場の印刷会社に就職した。

仕事自体は楽しかったし、やりがいを感じていた。

そんな時、子供たちを対象とした「野外教育」の世界に出会う。

はじめはボランティア活動として取り組んでいたが、少しずつ、その世界に惹かれていく自分がいた。

大学時代に、社会学を専攻していて、社会で起こっていることに興味があった。

その取り組みも、社会の中で子供たちが抱えている問題を解決するために、様々な場所で実施されている。

野外教育に魅了された僕は、その後、野外教育の世界に足を踏み入れるべく、会社を辞め、長野県の日本アウトワード・バウンド協会へ指導者のトレーニングを受けに行った。

 

会社員として働いていた時に、たまたま解剖学者の養老孟司さんの

講演会でお話を聞く機会があった。

子供は自然。都市は人間が作り出した、言わば「脳化社会」

都市の論理は、「ああすれば、こうなる」で出来ており、

自然では、「ああすれば、こうなる」は通用しない。

なんでもコントロールできる「ああすれば、こうなる」都市では、

「どうなるかわからない」自然である子供を育てることができない。

だから少子化になるし、子供もうまく育たない。

要約しすぎかもしれないけど、こんなお話だったように思う。

このお話を聞いた時、自分の中で何かが繋がった気がした。

 

社会的な環境の変化によって、日本ではさまざまな問題が起こっている。

若者のコミュニケーション能力の低下、農村部の過疎化や農地の荒廃、地域コミュニティの喪失、晩婚化、年間三万人を超える自殺者、高齢者孤独死、エネルギー問題、少子高齢化問題、などなど、あげればキリがない。

そんな社会的な課題の根っこが、自然から遠く離れてしまった、今の日本人の暮らしのなかにあるような気がしてならない。

 

だから僕は「自然へと誘う旅」を始めた。